各種資料
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三軒屋自治区の生い立ち
三軒屋自治区生い立ちの記
当地に人が住むようになったのは明治初期からである。明治四年に制定された挙母藩の帰農奨励策により、藩士永山、三宅、某不明の三氏が帰農したのを初めとする。当時三軒家と呼ばれ植田の斉田両氏がこれに替った。三軒の居住が続いたので、近住の人々は誰言うとなく三軒家と呼ぶようになったのが区名の起りである。
その後、追々人家も増えたが特に大正中期よりの開拓には著しいものがあった。それまでは低地の畑と森林内の農地だけの他は一面の小松原であり、台地が挙母町の新興農村地帯として開発されたのである。三軒家発祥以来十数年にわたり、行政区としては小坂、三軒屋三組(北・中・南)で第二次大戦後分区し、当時三軒屋を初代区長として三軒屋区が独立発足した。
昭和三十九年に、町名変更に伴い戸数も飛躍的に増加し、住宅地域として変貌、区民会館の建設等も進み、昭和五十四年には三軒屋区の生い立ちの記を掲げ、歴代区長並びに役員諸氏の功績を讃えると共に、当区のますますの発展を祈念し、後世に伝えるものである。
この開発は北部より中南部にかけて拡がり、地理的中央部には公会堂、農業組合、秋葉神社等の諸施設が建設され、これらは事業の先導的役割を果した。また、挙母市大郷、富田の吉岡氏を代表とする多くの役職の方々であり、当時の人々の並々ならぬ努力によって今日の三軒屋区の基礎が確立されたのである。
当時の区域は挙母町大字挙母南大谷、後牛車の道(仲道、西の迫)に大郷助山、鉄棒町三名設定により豊田市三軒町一八丁目、小川町一〜三丁目、朝日丘二丁目を区域とすることとなった。
三軒屋区誌(平成26年発行)
三軒屋区誌は、三軒屋区の成り立ちや歩み、地域の発展の歴史を後世へ伝えるため、平成26年に発行されました。
明治初期から始まる地域の歴史をはじめ、大正期の開拓、戦後の三軒屋区の発足、住宅地として発展してきた様子などがまとめられています。また、歴代区長や地域の発展に尽力された方々の記録を通して、現在の三軒屋区が築かれてきた歩みを知ることができます。
地域の歴史を振り返り、三軒屋区をより深く知ることのできる一冊です。
三軒屋区誌の一部をPDFでご覧いただけます。下記をクリックしてご覧ください。
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